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相談屋ジャッジ
社交不安障害(社会不安障害)専門相談員・鈴木哲夫
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はじめまして。社交不安障害の専門相談所『相談屋ジャッジ』の代表をしています鈴木哲夫です。
昭和50年5月29日生まれで出身は千葉市です。よく誤解を受けるのですが私は精神科医でも
臨床心理士でもありません。自らの経験をもとに、ウソ偽りのないアドバイスを心がけています。
そして何よりも「社交不安障害には薬は必要ない」という考えをもっています。なぜならば、社交
不安障害を『心の病』と捉えることが、全ての間違いの始まりだからです。
私が社交不安障害の苦しさを軽減できたのは「緊張・不安を治そう」という考えがなかったから
です。しかし、社交不安障害を『心の病』と捉えたら、自然と「治さなければ」という考えが浮かぶ
のは当然のことです。私にはその考えがなかったことが良い方向につながりました。

私が不安障害で悩み始めるきっかけになったのが、小学校のときの給食です。子供にとっての
楽しみの一つである給食が、私には苦しいだけでした。
今でもそうなんですけれど、子供のころから大食いでして、ごはんをおかわりしたんです。
でも、おかわりしてひとくち食べた瞬間、食べる気がなくなってしまいました。理由は今でも分か
りませんが、本当に急にでした。その時は、担任の先生に事情を話して、おかわりしたにも関わ
らず残したのですが、これが全ての始まりでした。
そしたら、次の日から「給食を残しちゃいけない」なんて余計なことを考え出すようになりました。
当時の担任が給食を残すことを善しとしないことも、「給食を残しちゃいけない」っていう考えに
はっぱをかけたのも事実です。
もうそんなことを考え出したら、私にとって毎日の給食が地獄となってしまったんです。
パンの時は袋に入れて持って帰れるからまだ良かったんですが、ご飯の時はいつも少なめに
盛ってもらいました。でも、しょっちゅうそんなこと言ってたら「鈴木君っておかしい」と思われる
んじゃないかとビクビクしてました。給食を残すというそのことではなく、給食を残す自分に対
するクラスメートの目が気になっていました。そんな感じで給食のことを考えると体調が悪くな
り、早退するときも多々ありました。「このままでは不登校になるから」と、担任の先生が家にま
で朝迎えに来るときもありました。
そんなことが長いこと続き、気付いた時には人とご飯を食べることに恐怖を抱く「会食恐怖」という
不安障害になっていきました。
そんな自分にも開き直りのきっかけとなることが高校3年のときに訪れました。
なんかで体調を崩し、ご飯が食べれなくなったときがあったんです。 当時の私にとって「食べら
れない」ということは致命的なことでした。一週間くらいは、ろくに食べることができませんでした。
母親が買ってきてくれたカロリーメイトくらいです。
この時はじめて、自分ではどうにでもならないと思って真剣に精神科に行こうと思いました。
でも、そんなとき父親が作ってくれたうどんが食べれたんです。 このときの「ホッ」とした感覚は
今でも忘れていません。食べれたっていうことが嬉しくて嬉しくて・・・(泣)こういう経験のない人
にしか分からない感覚だと思います。
そんなとき「ふっ」と思うことがありました。
「自分にとってうどんは食べやすい。また食べられなくなったら、うどんを食べれば大丈夫!」
そして「あんなに苦しんだけれど、結局は何とかなったな」ということ。
その思いが時間が経つにつれ、人間の身に起こる多くのことは「結局は、なんとかなる」といった
確信に変わっていったのです。
その確信がなければ、心理系の大学にも進まなかったと思います。
「なぜ?」って、やっぱり最終的に自分の心を支えることができる術を知らなければ、心理の世界
に飛び込む資格はないと思うからです。 当たり前のことですけれど、心が弱っている人と接して、
自分までつぶれてしまうようだったらダメです。この「結局は何とかなる」という経験が今でも弱りき
らない自分を作り上げているように思います。
以前、初めて会った人にこんなことを言われたことがあります。
「最後に残るのは鈴木さんのようなタイプの人なのかなぁと思います」と。「結局は何とかなる」と
いう経験が活きているのだと思います。

私は27歳の時、2年間の受験勉強の末、心理学部の大学に入学しました。
しかし、私の望んでいた心は残念ながら大学にはありませんでした。大学にあったのは、心理学
という名の統計学のようなものでした。今考えれば、私が勝手に心理学というものに勘違いしてい
ただけでした。私は、生々しいくらいの人間の心を求めていました。でも、目の前にあるのは全く心
に響かないマニュアル的なお勉強。
でも、そんなとき思ったんです。 自分は別の角度から心理に接しいこうと。臨床心理士の資格を
望まなかった理由はそれです。そして、そんなマニュアル的なお勉強だけを駆使して、心の問題を
解決しようとする精神科医や臨床心理士そして心理カウンセラーに不快感を覚えていきました。
私はただ無意味に現代の精神医療を批判しているわけではありません。
重度のうつ病なんかは、私も心の病だと思っています。でも、社会不安障害については、自分の
経験から病気だと思えないのです。これを病気にしてしまったら、恋だって病気にするべきです。
恋にどっぷりはまっている人は、第三者から見れば異常です。心の病の診断の基準が「生活に支
障」をきたすことなら恋をしたことで、生活に支障をきたしている人なんてザラにいます。
社会不安障害は、極度にあらゆることを気にし過すぎる『心の障害』です。
『心の病』は治すことが第一かもしれませんが、『心の障害』は工夫することが大切なんです。
しかし、工夫するのには本人の試行錯誤の時間が必要です。これを「面倒くさい」と思って、安易な
解決方法を得ようとすれば必ず失敗します。

何でもかんでも病気にするのは危険です。病気っていうものの捉えから入ってしまうと、誰だって
「治さなくっちゃ」と思ってしまいます。 医者から病名を告げられたらなおさらです。本当に苦しん
でいる人からすれば、医者は神様みたいな存在です。だから、本当は飲まなくてもいいのに、薬
でも出されたら誰だって飲んでしまいます。
私の勝手な考えですが、精神医療界の焦りみたいのを感じます。『心』ってあってないようなものだ
から、なんか形あるものに心の問題の原因をおきたいのではないでしょうか。目に見える形にしたい
のだと思います。その結果として脳にたどりついたのではないでしょうか。
例えば、脳の画像を見させられ「あなたの脳のここが曇っていますよね。これが心の病の原因です」
なんて言われれば、誰だって「本当だ。曇ってる」とそれを心の病の原因だと信じ込んでしまいます。

私はさきほど言ったとおり社会不安障害は心の病ではなく心の障害だと考えています。
ここで例え話をすると、足に障害をもって車椅子で生活している人を見てどう思いますか?
「足に障害をもっているから、車椅子にサポートしてもらっている」それは自然なことです。
逆に、足に障害をもっているという現状を受け入れられず、自力で歩こうと強がっている人を見て、
どう思いますか?私は「カッコ悪い人だなぁ」と思います。車椅子で自分の生活をより良いものにす
ることは素晴らしいことだと思います。
社会不安障害の人も、足に障害をもっている人にとっての車椅子のような存在を見つけてしまえば
いいんです。自らの障害をサポートしてくれるものを。目の見えない人にだって盲導犬という強い協
力者が存在するように。
社会不安障害の人にとって大切なことは、治療することではありません。自分の苦手な部分をサポ
ートしてくれ甘えられる存在と出会い、遠慮せずに甘ったれることが大切だと思います。
人生、甘ったれモン勝ちです!!
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