社交不安障害(社会不安障害)専門相談所
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相談屋ジャッジ/代表挨拶
社交不安障害専門相談所 『相談屋ジャッジ』
代表相談員/鈴木 哲夫
●1975年5月29日生・千葉県千葉市出身
はじめまして。社交不安障害の専門相談所『相談屋ジャッジ』の代表をしています
鈴木哲夫です。よく誤解を受けるのですが私は精神科医でも臨床心理士でもあり
ません。
自らの25年以上の経験をもとに、ウソ偽りのないアドバイスを心がけています。
そして何よりも「社交不安障害には薬は必要ない」という考えをもっています。
なぜならば、社交不安障害を『心の病』と捉えることが、全ての間違いの始まりだ
からです。
私が社交不安障害の苦しさを軽減できたのは「緊張・不安を治そう」という考えがな
かったからです。しかし、社交不安障害を『心の病』と捉えたら、自然と「治さなけれ
ば」という考えが浮かぶのは当然のことです。
私にはその考えがなかったことが結果的に良い方向につながりました。
社交不安障害のきっかけ
私が不安障害で悩み始めるきっかけになったのが、小学校のときの給食です。
子供にとっての楽しみの一つである給食が、私には苦しいだけでした。
今でもそうなんですけれど、子供のころから大食いで、ごはんをおかわりしました。
でも、おかわりしてひとくち食べた瞬間、食べる気がなくなってしまいました。理由
は今でも分かりませんが、本当に急にでした。その時は、担任の先生に事情を話
して、おかわりしたにも関わらず残したのですが、これが全ての始まりでした。
次の日から「給食を残しちゃいけない」なんて余計なことを考え出すようになりま
した。「また、残したら変な風に思われる・・・」と自分勝手に、みんながそう思うは
ずだと決め付けていました。当時の担任が給食を残すことを善しとしないことも、
「給食を残しちゃいけない」という考えがプレッシャーになっていたのも事実です。
もうそんなことを考え出したら、私にとって毎日の給食が地獄となってしまいました。
パンの時は袋に入れて持って帰れるからまだ良かったんですが、ご飯の時はいつ
も少なめに盛ってもらいました。でも、しょっちゅうそんなこと言ってたら「鈴木君っ
ておかしい」と思われるんじゃないかとビクビクしてました。給食を残すというそのこ
とではなく、給食を残す自分に対するクラスメートの目が気になっていました。
そんな感じで給食のことを考えると体調が悪くなり、早退するときも多々ありました。
「このままでは不登校になるから」と、担任の先生が家にまで朝迎えに来るときもあ
りました。
そんなことが長いこと続き、気付いた時には人とご飯を食べる時、「自分の分は残
してはいけない」ということに恐怖を抱く
会食恐怖
という不安障害になっていきました。
結局は「なんとかなる」という経験
そんな自分にも開き直りのきっかけとなることが高校3年のときに訪れました。
なんかで体調を崩し、ご飯が食べれなくなったときがあったんです。当時の私に
とって「食べられない」ということは致命的なことでした。一週間くらいは、ろくに食
べること ができませんでした。母親が買ってきてくれたカロリーメイトくらいです。
この時はじめて、自分ではどうにでもならないと思って真剣に精神科に行こうと思
いました。でも、そんなとき父親が作ってくれたうどんが食べれたんです。
このときの「ホッ」とした感覚は今でも忘れていません。食べれたっていうことが嬉し
くて嬉しくて・・・(泣)こういう経験のない人にしか分からない感覚だと思います。
そんなとき「ふっ」と思うことがありました。
「自分にとってうどんは食べやすい。また食べられなくなったら、うどんを食べれば大
丈夫!」そして「
あんなに苦しんだけれど、結局は何とかなったな
」ということ。
その思いが時間が経つにつれ、人間の身に起こる多くのことは「結局はなんとかな
る」といった確信に変わっていったのです。その確信がなければ、心理系の大学に
も進まなかったと思います。「なぜ?」って、やっぱり最終的に自分の心を支えるこ
とができる術を知らなければ心理の世界に飛び込む資格はないと思うからです。
当たり前のことですけれど、心が弱っている人と接して、自分までつぶれてしまうよう
だったらダメです。この
「結局は何とかなる」という経験
が今でも弱りきらない自分を
作り上げているように思います。
心を求め、いざ心理学部へ!!
私は27歳の時、2年間の受験勉強の末、心理学部の大学に入学しました。しかし、
私の望んでいた心は残念ながら大学にはありませんでした。大学にあったのは、心理
学という名の統計学のようなものでした。今考えれば、私が勝手に心理学というものに
勘違いしていただけでした。
私は、生々しいくらいの人間の心を求めていました。でも、目の前にあるのは全く心に
響かないマニュアル的なお勉強だったのです。でも、そんなとき思ったんです。自分は
別の角度から心理に接しいこうと。臨床心理士の資格を望まなかった理由です。
そして、そんなマニュアル的なお勉強だけを駆使して、心の問題を解決しようとする精神
科医や臨床心理士そして心理カウンセラーに不快感を覚えていきました。
「心の障害」には治療ではなく工夫が大切
私はただ無意味に現代の精神医療を批判しているわけではありません。重度のうつ病
なんかは、私も心の病だと思っています。でも、社会不安障害については、自分の経験
から病気だと思えないのです。これを病気にしてしまったら、恋だって心の病気にするべ
きです。恋にどっぷりはまっている人は、第三者から見れば異常です。心の病の診断の
基準が「生活に支障」をきたすことなら恋をしたことで、生活に支障をきたしている人なん
てザラにいます。
社会不安障害は、極度にあらゆることを気にし過すぎる『心の障害』です。
『心の病』は治すことが第一かもしれませんが、
『心の障害』は工夫することが大切なん
です
。
しかし、工夫するのには本人の試行錯誤の時間が必要です。これを「面倒くさい」と思っ
て、安易な解決方法を得ようとすれば必ず失敗します。安易な答えは安易な結果を招き
ます。
何でもかんでも病気にするのは危険です。病気っていうものの捉えから入ってしまうと
誰だって「治さなくっちゃ」と思ってしまいます。医者から病名を告げられたらなおさらです。
本当に苦しんでいる人からすれば、医者は神様みたいな存在です。だから、本当は飲ま
なくてもいいのに、薬でも出されたら誰だって飲んでしまいます。
「今の状況をどうにかしたい・・・」その気持ちが強いほど、薬に可能性を信じたくなるのも
当然です。
私はさきほど言ったとおり社会不安障害は心の病ではなく心の障害だと考えています。
ここで例え話をすると、足に障害をもって車椅子で生活している人を見てどう思いますか?
「足に障害をもっているから、車椅子にサポートしてもらっている」それは自然なことです。
逆に、足に障害をもっているという現状を受け入れられず、自力で歩こうと強がっている人
を見て、どう思いますか? 私は「カッコ悪い人だなぁ」と思います。
車椅子で自分の生活をより良いものにすることは生き方の1つではないでしょうか。
社会不安障害の人も、足に障害をもっている人にとっての車椅子のような存在を見つけ
てしまえばいいんです。
自らの障害をサポートしてくれるもの
を。
目の見えない人にだって盲導犬という強い協力者が存在するように。社会不安障害の人
にとって大切なことは、治療することではありません。自分の苦手な部分をサポートしてく
れ甘えられる存在と出会い、遠慮せずに甘ったれることが大切だと思います。
人生、甘ったれモン勝ちです!!
恐怖の対象は人それぞれだが、原因はみんな一緒
私の社交不安障害はたまたま会食恐怖に表れました。
この文章を読んでいただいた人の中には「私の社交不安障害は会食恐怖じゃないから
この人とは違うなぁ」と思う方がいるかもしれません。
しかし、それはたまたま私の場合は会食恐怖に表れたということであって、社交不安障
害の「
理想の自分以外他人に見られたくない・知られたくない
」という
理想の自分にしが
みつく
根本的な部分はみなさんと同じです。 原因は同じで結果が違うというだけです。
なので、会食恐怖にこだわらず、様々な社交不安障害に対応させていただきますので、
遠慮なくご相談ください。
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